南インドから帰国

 南インドから帰国してきました。まわったのはカルナータカ州のバンガロール、ケーララ州のコーチン〜トリバンドラム、そしてタミル・ナードゥ州のチェンナイ(前マドラス)。2週間という駆け足の旅だったが、南インドはじつに16年ぶりだったので、なつかしいやら、あるいは変化に驚くやら。

 いろいろな雑誌がインドのIT産業のことをバラ色に書き立てているが、バンガロールにある“インドのシリコンバレー”を眺めていると、確かにそんな感じがしてくる。やたらとモダンで無機質なビルが建ち並んでいる様子は、まあ、日本でもアメリカでも同じ風景だ。そこを牛が歩きまわっているのが唯一インドらしいところである。

 昔、南インドをまわった頃は、ケーララ州はインドの中でも後ろから数えた方が早い貧乏州だった。それが今では、上から数えた方が早いほど富裕州になっていた。これもIT産業の成果かと思ったが、どうもIT産業とは直接関係ないらしい。ここ10年ほど、ケーララ州から中東に出稼ぎが急増し、その仕送りでケーララは潤っているというのである。

 それを象徴するかのように、ケーララの街にはサリー屋や宝石屋が、田舎の町には不似合いなほど大きく、モダンに飾り付けられている。サリー屋に入ると、下は150ルピー(450円)程度のものから、上は数万ルピーのものまで、数も種類も豊富な品揃えで多くの店員が待ちかまえている。雰囲気も上品で、観光客や旅行者を相手にしているカシミール商人の土産物屋とえらい違いである。

 とはいえ、チェンナイの路上生活者はあいかわらず多い。きちんと洗濯された服を着た家族が、まるでピクニックの途中でもあるかのように、街の路上で寝泊まりしているのを見かけたりするが、こういった新しい路上生活者が生みだされているのは、あるいは津波の影響だろうか。

 ところで、前回僕はこう書いた。
コルカタに行ったとき、表のチョーロンギー通りで、巨大な高速道路が建設されつつあるのに驚いたものだが、この高速道路はやがてインドの四大都市を結んでネットワークされるらしい」

 で、コルカタ在住の読者から指摘があって、チョーロンギー通りで建設されつつあるのは、インドの四大都市を結ぶ高速道路ではなく、“パークストリート・フライオーバー”と呼ばれる単なる高架道路だそうだ。大変失礼しました。ご教授感謝。こういった高架道路の建設は、バンガロールなどでも盛んに行われている。中国とはかなり離されてしまったが、インドもようやく大々的なインフラを整えつつあるようだ。