その後のタイトル問題

 新種インフルエンザ問題におびえつつ、次号を制作している。このまま事態が収束しないと、書店が本を置いてくれないかもしれないと思うと、ぐったり疲れて、夜はぐっすり眠れる。人生はなるようにしかならないものだ。

 ところで、先日より頭を悩ませている私の新刊のタイトルがついに決定した。それをお知らせしたい。これです。

 うーん、これはと、そこで頭を抱えないように。もうこれ以上考えられない。次号の締め切りが目前なのだ。これでいく(でも、もしかしたら変えちゃうかもしれない)。

 タイトルの問題は、いつも頭を悩ませる。初めからこれしかないという感じですっと出てくる場合もあって、そういうときはいいんだが、一度悩み出すと大変なことになる。たいていの場合は、四苦八苦したときのタイトルよりも、始めにすんなり出たタイトルの方がいい感じだ。

 宮田珠己さんの『52%調子のいい旅』のときは、大変だったケースで、宮田さんが事務所に来て、まず彼が考えた候補が30個ぐらいはあったが、全部ボツになって、それから、ああでもないこうでもないと何時間も考えつづけた。最終的に決まったタイトルは、もちろん宮田さんが提案したものだが、私はこのタイトルが気に入って、あれこれひねったわりにはいいタイトルだったのではないかと今でも思っている。もっとも、幻冬舎から文庫になったときには改題されて『ときどき意味もなくずんずん歩く』になってしまったが(これもいいタイトルだと思う)。

 例えば『52%調子のいい旅』のように、本の内容とは直接関係のないタイトルは、編集者としては提案しにくい。そういう提案をどしどしする編集者もいるとは思うが、著者ではない編集者が、感覚的なタイトルを付けるのは難しいと思う。例えば旅行記なのに『いやん、バカ!』というタイトルであっても、これでどうですかと著者なら言えるが、編集者がそんなことを著者に言ったら怒られるだろう。編集者として提案する場合は、あくまで本の内容に沿ったものか、あるいは「売れ線」狙いになるわけだ。

 グレゴリ青山さんの『旅のグ』は、私が考えたタイトルで、これも感覚的なイメージだけれど、本文中で著者自ら自分のことを「グ」と読んでいたから提案できたのだ。しかし、書店からは、これはどういう意味ですかとさんざん聞かれた。

 田中真知さんの『孤独な鳥はやさしくうたう』の場合は、まず私が提案したタイトルは『父はポルトガルへ行った』だった。本に入っているエッセイのタイトルである。これは本誌の予告でも仮タイトルとして紹介した。私が好きだったエッセイだったし、旅のエッセイ本だとわかると思ったのだ。しかし、真知さんは、この本の中では少し異色エッセイなので本のタイトルにはしたくないという。それで、私が再びこの本に収録されているエッセイで『モロッコラヴェル』はどうだろうかというと(これもとても好きなエッセイだった)、それだとビールの本みたいだといわれ、あえなくボツ。

 あれやこれやあったのち、真知さんから提案があったのが『旅人は静かにうたう』だった。これは、もしかして映画『隣人は静かに笑う』のもじりだろうかと思い、真知さんに聞くと、そうではなく、十字架の聖ヨハネという中世スペインの神秘家の詩の一節に「孤独な鳥はやさしくうたう」というのがあって、そこからなんとなくという答え。うーん、なんというインテリな、というか、それだったら「孤独な鳥はやさしくうたう」のままでいいじゃないかと、私がこのタイトルを非常に気に入って、そうなってしまったというわけである。このタイトルだと旅行エッセイであることが全然わからないんだが。

 本がものすごく売れたとしても、タイトルがよかったから売れたのかどうかわからないことが多いのだが、それでもタイトル次第で売れるか売れないかを左右される。装丁と同じで、タイトルやデザインは、売る力を持っていないとしても(もちろん明らかにタイトルで売れた本はある)、売れなくする負の力は確実にある。つまり、かっこいいタイトルやデザインだけで買ってもらえるとはいえないが、ひどいタイトルとデザインだと買ってもらえなくなることは大いにあるのだ。だから、せめて、売れ行きを落とさないような、読者が手に取るのを邪魔をしないようなタイトルとデザインにしたいと思っている。