無趣味

 先日、ふと思ったのだが、私の趣味はなんだろう。なんかあったような気がするんだが、どうも思いつかない。そんなはずはないと考えた末に、出た結論は「無趣味」だった。私に趣味はないのだ。おお、なんということだろう。

 毎年暮れになると、亡くなった母のことを思い出す。母は1月1日に亡くなった。当時、鹿児島で入院していた母のもとに1カ月おきぐらいに見舞いに行っていたが、入院生活に何か趣味的なものをプレゼントしてやりたかった。母の趣味はなんだろうと考えたが、仕事ばかりしていた母に、特に趣味らしいものはなかった。田舎に住んでいる私の親世代の人々で、音楽や読書などの趣味を持っているほうが珍しいのではないかと思うが、その珍しい部類だったのが私の父で、父は「大学」という妙な趣味があった。父の趣味ついては以前書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。

 かつて、私が子どもだった頃は、切手や古銭を集めたことがあったが、これはすぐに飽きて趣味というほどには成長しなかった。熱中したのは漫画で、子どもの頃から漫画家になりたいという希望を抱き続けていた。40年ほど前は、たぶん日本人の漫画家の名前はだいたい全部覚えていた。漫画家名簿を眺めて覚えたのだ。学校の夏休みの自由課題も長編漫画を描いて提出し、高校生になると、勉強をさぼってペンと墨汁で本格的に漫画を描いてさえいた。中学時代から学年雑誌(「中1コース」とか「中1時代」とかいうやつですね)の漫画・イラスト投稿欄の常連で、出せばかなりの確率で入選を果たしていた。大学も当然、漫研に入部する。

 しかし、漫画家にはなれず、何故かイラストレーター兼グラフィック・デザイナーになった。この仕事に就いて、イラストを描くことは趣味ではなくなった。その当時の20代は、バイクが趣味だった。原付から始まって400CCの中型免許を取得し、買ったバイクが6台。オイル交換も、プラグの調整も、チェーンのメンテナンスも全部自分でやっていた。奥多摩に走りに行ってコーナーを攻めるのが生き甲斐で、毎回こけてバイクの部品代に多額の出費をした。筑波サーキットでテスト走行したことがあるというのが数少ない自慢である(ここを走って自分にレーサーの才能が全くないことがわかった)。

 同時に、ロックを夢中になって聴いた。絵に描いたような青春時代だったのだなあ。大学時代からの友人が、私に何重にも輪をかけたロックファンで、彼はどのコンサート会場でも、アリーナのいちばんいい席を獲得した。彼のおかげで、今では絶対に入手できないような前列中央の特等席で、さまざまなロックコンサートを観ることができた。仕事は忙しくて金もそこそこ稼いでいたので、使うヒマもほとんどなく、その鬱憤を晴らすように、レコードをどんどん買い、部屋の中は漫画とレコードで埋まっていた。

 これらは、今考えれば、私の歴史の中では「趣味」だったと公言できる事柄だった気がする。その後、私は長い旅に出てしまう。もちろん漫画もバイクもロックもさよならだ。漫画やロックにおさらばする必要はなかったのだが、旅することだけ考えるようになって、もう昔の熱中した気分に戻ることはできなかった。本当に旅がすべてだった。

 それで、こうやって旅行書の出版社をつくって、自分でも本を書きながら仕事を続けて今に至るわけだが、漫画もロックもバイクも趣味ではなくなり、旅も仕事になってしまうと、今の私には趣味といえるようなものが何も残らなかったのである。今いちばん熱中しているのは、テレビで放送する映画をダビングすることぐらいだ(もちろんこれは映画を観たいからやっているだけで、観もしない映画を集めているわけではない)。

 別に無趣味でも問題はない。無趣味であることに悲観しているわけでもないし、困ってもいない。しかし、趣味はなんですか? と質問されたとき(誰も聞かないと思うが)、無趣味ですと答えるようになろうとは思っていなかっただけである。今の仕事をやめれば、再び、趣味は旅ですといえるようになるのだろう。