徹夜本2

 僕は競馬にはほとんど関心もなく知識もないが、そういう僕でも、例えばハイセイコーという馬は知っている。最近ではハルウララとかディープインパクトも聞いたことがある。という程度の僕が競馬の本を読み、これが徹夜をするほどおもしろかったのだから、本というのはわからない。


 ある日、本屋で棚を眺めていたら、妙な書名の本にぶつかった。『シービスケット』(ローラ・ヒレンブランド、奥田祐士訳、ソニーマガジンズ、2003)という。意味がわからないが、書名の上に馬の写真があったので、馬の名前だろうと推測できたと同時に、そういえば「本の雑誌」で目黒考二さんがこの本をほめていたのを思い出した。手に取ると、装幀が素晴らしい。鈴木成一デザイン室とあって納得する。それでこの本を買い求めて読み始めたのだが、読み始めるともうとまらない。


 馬名の「シービスケット」とは海軍用の乾パンの意味らしいが、アメリカでは当時の大統領より有名な馬だったという一頭の競走馬の話はすべて実話である。気性の荒い駄馬と見なされた馬シービスケットが、ある実業家に買い取られ、そして丹下段平のような調教師に鍛えられて才能を開花させ、ついに並み居る名馬を打ち破ってスターダムにのし上がっていく挫折と栄光を織り交ぜた波瀾万丈の物語なのである。


 これが実話でなかったら、ある意味で不出来な成功物語の小説で終わったことだろうが、実際にこのような馬がいて、1930年代のアメリカで走っていたということに胸がときめく。さらに、馬のことを知らない僕に驚きだったのは、馬という動物の感情豊かなことである。この本にこういうくだりがある。


――馬という動物をよく知らない人は、馬にはプライドがあるという考えを、愚かしい擬人化だと一笑に付すかもしれない。だが、それは確かに存在する。(中略)レース中に騎手が落馬しても、競走馬はまず例外なく勝利を目指し、トップに向かって猛チャージをかけ、最後の敵を抜き去ると、時に前足を跳ね上げて歓びを表現する。


 普通の競走馬でも、こういう感情表現を表すそうだが、シービスケットのそれはもっと複雑でひねくれていた。シービスケットの調教のために、イグジットという馬といっしょに走らせたときのこと。


――この馬を抜き去ったシービスケットは、そのまま差を広げていく代わりに、わざとスピードを落とし、イグジットに少しだけ先行して走った。イグジットは全力で走ったが、シービスケットはスピードを調節して、わずかなリードを保ち続けた――まるで、イグジットを愚弄しているかのように。二頭はそのまま数ハロン走りつづけ、そこでイグジットが唐突に脚を止めた。その日から、この馬は二度とシービスケットとは走らなくなった。


 なんとシービスケットという馬は、相手の馬を侮辱することに歓びを見いだしていたのである。こうやってシービスケットにいたぶられた同じ厩舎の馬が何頭も使い物にならなくなったという。馬というのはこれほど感情が豊かな生き物であることをこの本を読んで初めて知った。


 シービスケットは優れた、そして厄介な競走馬だったが、無敵だったわけではない。幾たびも宿敵に破れ、怪我によって挫折し、そして再起する。実はシービスケットに関わった馬主、調教師、騎手もまたシービスケットに劣らず癖のある複雑な人生を送る人々であり、これらの人々がシービスケットを中心に織りなすドラマは、まさに波瀾万丈としかいいようのない物語である。だからこそ当時のアメリカ人が熱狂したのだろう。競馬のことをまったく知らなくても十分に堪能できるノンフィクションだ。


 この物語は映画にもなっている。本に較べれば物語はだいぶはしょられているが、本書を読んだあとなら、余韻を味わいながら楽しめると思う。