幻の遊星通信


 今、次号の「旅行人創刊20周年記念特集」を制作している。原稿はだいたい出そろい、レイアウトもほぼできあがったが、未着の原稿を数本待っている状態である。特集を組むにあたって、あらためて創刊号から直近の号までを見直してみたが、158号もあると、ぱらぱらめくるだけでも大変である。


 『旅行人傑作選1 世界の果てまで行きたいぜ!』で長田幸康さんが本誌の創刊号から40号までの歴史をふりかえってくれている。自分でもすっかり忘れていたのだが、創刊号から158号までの中に含まれていない特別号がひとつあったことを、長田さんの記事を読んで思い出した。それは僕がアフリカのジンバブエを旅行中に手書きで描いた号である。


 手書きの号は「遊星通信」の時代に4回発行した。最初の号はいきなり創刊2号でタイから発行した。バンコクで印刷屋で頼んだら少なすぎると断られ、コピーして発送した。次の手書き号はタヒチ号(5号)で、これは『地球の歩き方』の取材でタヒチに行ったときに、現地で書いてコピーを送った。タヒチは郵送料が高く、赤字になった。


 その次がジンバブエから送った「アフリカ特別号」で、最後が24号に挟み込んだ「アフリカ版」である。24号挟み込みの「アフリカ版」は、「アフリカ特別号」の前に書いたのだが、実際の発行は逆になった。それでこの「アフリカ特別号」だけが、通巻号数の中に含まれていない。その後、どこにも紹介していないので、この号は幻の号となっている。


 何でこの号をジンバブエから出したのかというと、友人から、最近「遊星通信」がぱったり出なくなったぞとアフリカまで手紙が届いたのだ。その頃、われわれはアフリカ旅行の最後にさしかかっていた。ジンバブエから南アフリカをまわって1年半のアフリカの旅を終える予定だったので、読者にいつ頃帰国できるかを伝えようとこの号を作ることにしたのだ。それに当時のジンバブエはとてもいいところで、われわれはジンバブエが大好きだった。まだアフリカの情報がない頃だったので、ジンバブエの様子を伝えたいと思ったのだ。


 今のジンバブエは見る影もない。当時のことを振り返ると実に悲しい気分になる。なるべく大きなファイルで入れておきますので、1992年当時、われわれが体験したジンバブエを、よかったら読んでみてください。


「遊星通信」アフリカ特別号(1992年2月5日発行)

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