ロビンソン・クルーソーを探して

 子どもの頃、デフォーの『ロビンソン・クルーソー漂流記』を読んだことのある方は多いことだろう。僕も読んだ(筈だ)。しかし、まさかロビンソン・クルーソーが実在の人物だとは思っていなかった。

 僕がロビンソン・クルーソーに実在のモデルがいることを知ったのは、1999年に出た『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮社)という本を読んだことによる。著者の高橋大輔は、イギリス王立地理学協会が編纂した『世界探検史』を翻訳しているときにそのことを知り、それからクルーソーのモデルとなったアレクサンダー・セルカークを追って、南米チリの島へ調査旅行を開始したのだった。

 この『ロビンソン・クルーソーを探して』では、セルカークが滞在したファン・フェルナンデス島(現在はその名もロビンソン・クルーソー島となっている)で調査し、セルカークが残した遺品を追ってイギリスへ飛びと、旺盛に取材と調査を重ねているが、残念ながらセルカークが実際に生活した跡を特定することはできなかった。

 ところが、この前出た「ナショナル・ジオグラフィック」(10月号/日経ナショナル・ジオグラフィックス社)を見ていたら、なんと、高橋さん、ついにセルカークの住居跡を発見したらしい。おめでとう〜(拍手)。高橋氏はセルカークの資料を求めてイギリスまで出かけた際、スコットランド国立博物館のディビッド・コールドウェル博士という人と知り合いになっているが、今回の調査旅行は、その博士と一緒に行っている。それが今年の1月のことだったそうだ。

 調査を始めて3日後には、見事に問題の住居跡を発見している。そこで小さな銅片を発見し、それがセルカークの時代によく使われていたディバイダーの破片であることを、コールドウェル博士が突き止めたのである。高橋さんが調査を始めてから12年の時が流れていた。

 小説のロビンソン・クルーソー無人島で28年間を過ごしたことになっているが、実在のモデルであるアレクサンダー・セルカークは4年4カ月滞在したという。1709年2月1日、イギリスの掠奪船に救出され、無事にイギリスへの帰還を果たし、その体験談を元に小説家ダニエル・デフォーがあの小説を書いたのである。当時、この小説は大ベストセラーになったという。

 しかし、セルカーク本人はやがて世間から忘れ去られ、再び外洋船の一員となって船旅の日々へと帰っていく。1721年、セルカークの乗った船はアフリカのガーナ付近に到着し、そこで病気にかかって死亡してしまう。波瀾に満ちた人生を送ったアレクサンダー・セルカーク、45歳の冬であった。

ロビンソン・クルーソーを探して (新潮文庫)
高橋 大輔
新潮社 (2002/06)
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