世界中を旅できるのは素晴らしいことなのだ

 いいかげんに更新せんか! と読者に怒られて、あわてて書き始めている。すいません。心を入れ替えて、今後はできるだけ早めに更新します(と何回いったことだろうか)。

 とにかく最近は、例のイラクの人質殺害事件で、マスコミからの電話があったり、ネットの対応に追われたりして、うんざりしている。この件に関しては、マスコミからの電話だけの取材には受けないことにしているんだが、週刊朝日から電話での取材があって、それはお断りした。そしたらあらためて週刊朝日の別の人から取材の申し込みがあったので、これは本日、直接記者に会って喫茶店で話をした。

 で、そういえば、今週の週刊朝日(11/12号)にも、「あまりにも無謀な「100ドル旅行」の暗転」などという記事があることを新聞の広告で知ったので、買って読んでみたら、その記事の中にこんな文章があった。

──バックパッカーに人気のあるアフリカやアジアに詳しい旅行雑誌の編集長は言う。

 それって誰のことなんだよ。バックパッカーに人気のある旅行雑誌って、うち以外には「格安航空券」ぐらいのものじゃないのか。だが、もちろん私のことではない。その人はこんなことを言ったそうだ。

──最近の若い人は関心が内に向かっているようで、海外に出なくなった。あえていま海外を選ぶ若い人は、かなり強烈な体験を求めている。極限の環境で自分を見つめ直そうという人もいるし、その経験で周囲に一目置いてもらいたいという期待を持っている人も見かける。

 そうかい。そのバックパッカーに人気のある旅行雑誌の編集長にいってやりたいが、「経験で周囲に一目置いてもらいたいという期待を持っている人」なんて昔からいたが、そんな奴はごく一握りの奴でしかなかったんじゃないのかね。越えられないはずの国境を、あえて越えて捕まったりする旅行者は昔からいた。だからといって、そんなことをするのがバックパッカーだということはできない。

 うちのサイトに書き込んでくれている読者にも、これでまたバックパッカーってこういう奴らなんだと世間に思われるのがイヤだという人がいる。その気持ちはわかるし、この事件が起きる前からすでにそういうふうに思われているような気がしないでもない。

 しかし、バックパッカーという、同じ性質の、ある種の均質な集団があるわけではない。バックパッカーというのは、たんなる個人旅行者に過ぎず、比較的若いのが多いから、比較的金がなく、比較的身だしなみにかまわないというに過ぎない。ヨーロッパを旅しているバックパッカーだっているし、アメリカを旅している奴だっている。身なりがきちんとしている人も、金がある人もいるのである。そういう連中が、危険な地域に好んで入り込んでいくわけでは全然ない。

 もちろん、団体旅行者だと危険な地域に入り込めるわけもないので、危険な地域に入る込めるのは必然的に個人旅行者=バックパッカーということになってしまう。だからバックパッカーという連中ときたら、などといわれてしまうと、それはないだろうと思うのだ。なにもかも十把一絡げに「あのバックパッカー」といってすむ問題ではないだろう。

 バックパッカーに人気のある旅行雑誌の編集長として、あえて申し上げたいのだが、それでもひるまずに旅をせよといいたい。もちろん何の情報もなく、何の知識もなく、危険な地域に突入せよといっているのではない。できる限りの情報を入手し、そして、できるだけ知識も仕入れ、自分が旅できると信じられる地域を旅して欲しいと思う。確かに今度の事件はあまりにもいたましい事件だったが、だからといって旅ができないことにはならない。「バックパッカーというか、後ろに荷物を担いで世界中を旅しているという類」(町村外相の発言/週刊朝日12/11)で何が悪い。世界中を旅していられることのなんと素晴らしく幸福なことか。世界をふらふらと旅できることは素晴らしいことなのだ。これは声を大にしていいたい。