小樽の時計

 先日、友人の結婚式に出席するために、生まれて初めて北海道へ行った。この旅は、僕の日本最北記録である。

 北海道へ行って気がついたのは、まずほとんどのクルマが4WDであったことだ。本土ではごく普通のFFセダンが、ここでは4WD仕様になっている。夜中に吹雪の中でスタックしたら命に関わることだから、これはどうしても欠かせないものだろう。そして、多くの家の駐車場が、きちんと屋根付きの車庫になっている。大雪の会津でも聞いたが、露天駐車場の場合、大雪の日にクルマの屋根やボンネットに雪が積もると、雪の重みでへこんでしまうんだそうだ。だからこれも雪国には欠かせない。それに、大型の灯油タンクも備え付けてあったのが北海道らしかった。

 札幌からレンタカーで洞爺湖を経由して小樽へ行く。小樽は寿司とガラス細工で有名なんだそうだ。古い倉庫が残る街並みはなかなか美しいもので、古い建物には「歴史的建築物」という指定があって保護されている。倉庫を改造した店や、古風なデザインの新しい建物には、数多くのガラス細工店が入っている。コップでも買おうかと店に入ると、中は女性だらけ。そして、中に並んでいるガラス製品も、実に乙女チック。うーん、これは中年男の出る幕はない。というわけで、退散。

 泊まったホテルのすぐそばに、古い木造の建物があった。そこの窓際に、船舶用品が数点ほこりをかぶって置かれているのが目にとまった。古い品物ではなさそうだが、並べているうちにほこりをかぶったような感じである。そのなかに船舶時計があった。値段が書いていない。この店は看板に「船用品」と書いてあるが、果たして店なのかどうかもわからない。そこで、窓をこんこんと叩いて、中で働いている女性事務員を呼んだ。

 その人は、ふしぎそうな顔をして、僕らに「何のご用ですか?」という。「あの、窓に並んでいる時計は売り物ですか?」と尋ねると、彼女は「ああ、売ってることは売ってるんですけど」という。「ほんとに買うつもりなんですか」という顔付きだ。
「値段が書いてないんですけど、いくらでしょうか」
「ちょっと待って下さい」
 彼女はそういってその時計を調べていたが、彼女も値段がわからないらしい。
「すいません。この時計の値段を知っている者がもう帰りましたので、明日もう一度来ていただけませんか」
 それなら仕方ない。それではまた明日、といって、僕らはその場を立ち去った。

 そして明朝。その店を訪ねると、「ああ、どうぞどうぞ」といって、その店の中に招き入れられた。そこは店というよりも、昔の──昭和30年代ぐらいの、会社の事務所というか、小学校の職員室のような部屋であった。床も古い板張りで、実に懐かしいおもむき。
「ちょっと待っててくださいね。時計を掃除しようと思って分解したら、ネジがどこかに飛んじゃって」
 若い男が、苦笑いしながら、机の下を懐中電灯に照らして探しているが、それがなかなか見つからない。そこに社長さんがわれわれに声をかけてきた。
「どこからいらっしゃったの」
「東京です」
「ああ、東京から。小樽はどうですか」
「古い建物がきれいですね。倉庫はみんな店になってるんですか?」
「全部じゃないけどね、みんなホテルや店になっちゃって。昔からやってるのは、うちぐらいのもんですよ。うちは人も建物も古いんでねえ。こうなると、やめるにもやめられなくてねえ」
 などといいながら、ひとくさり小樽の街について話をしてくれた。
 結局、どこかへ飛んでしまった小さなネジは見つからず、若い男は頭をかきながら、「オモチャ屋に行けばこのネジは売っていると思うんですけど」といって、売り値の半額で売ってくれた。僕らはその時計を受け取り、外に出た。僕はなんだかおかしくて、しばらく笑いがとまらなかった。こんな商売をしている人がここにはいるんだなとうれしかったのだ。