岩波新書『木造建築を見直す』

 またずいぶんひさしぶりのブログ更新になってしまいました。すいません。毎年、50回更新を目指していたが、今年はお知らせを含めてこれで35回。たぶん50回には届きませんね。
 フェイスブックだのツイッターだのいろいろやっていると、ブログという言葉がなつかしく思えるほどだ。私も最近はすっかりネット中毒になり、新聞を読む時間が減ってネットに頼るようになった。買い物も、調べ物も、時の移り変わりもネットだ。今日がクリスマスの夜であることも、フェイスブックの書き込みで誰かがそれらしいことを書くことで、気がついたりする。もうすぐ本もタブレットで読むようになるのだろうか。

 さて話は変わって、先日、『木造建築を見直す』(坂本功)という新書を読んだ。新刊ではない。12年も前に出たものを古本で買い、ようやく先日読んだのだ。興味のない方にはこういう本の話はつまらないかもしれないが、木造建築などに特に興味がない人でも、常識を覆すようなことが書いてあった。
 私と同世代かそれ以上の方は(つまり中高年の方は)、正倉院の校倉造りというのを小学校で教わった記憶があるだろう。私の記憶では、学校では校倉造りを次のように教えた。三角形の木材を角が合わさるように組み上げて壁を造る。湿度によってその木材が膨張あるいは収縮することでわずかに隙間が生じ、室内の換気が可能になって内部に納められた宝物がよく保たれた。

 私はこの本を読むまで、校倉造りとはそのような建築方法だとずっと信じてきたが、この本によれば、そんな効果は全然ないという。
 その部分を抜粋しよう(87ページ)。
──この説はほんとうではありません。たしかに、木は水分をどれだけ含むかによって膨張・収縮します。しかし木の加工精度からいっても、また、膨張・収縮にともなってねじれや割れが生じることを考えても、微妙なコントロールがなされるわけがありません。岩波新書正倉院』の著者東野治之氏は「これはよくできた嘘だった」と書いています。

 まったくなんということであろうか。当時これは教科書にわざわざ図入りで解説してあったことであり、教師も丁寧に説明してくれた。それが「よくできた嘘だった」って、いったい私が子どものころの教科書って誰が書いたのか。教科書ってこんなにいいかげんなものだったのかい。当時はそのように考えられていたというならともかく、嘘だったっていうんだからねえ。

 それではなぜ正倉院の収蔵物が長年にわたってよく保存されてきたのかというと、第一に高床式で地面からの湿気を受けにくかったこと。それに壁の木材が長い間に乾燥して収縮し、隙間だらけで風通しがよかったからだそうだ。高度な建築技術とは無関係だったわけ。私が思うに、収蔵物が今までよく保たれてきたのは、きびしく管理されて泥棒にあわなかったからだろう。

 もうひとつ、これもまた伝説的にいわれていることだ。世界最古の木造建築、五重塔はこれまで幾多の地震に耐えてきた。これは日本古来の木造建築の優秀さを象徴している建築物であるという話。塔の中心に立てられた長い柱(心柱)が、地震が起きると揺れてバランスを保ち、塔全体の揺れを押さえるといわれている。いかがですか。私もそのように聞いた憶えがある。
 実はこの説、現在では完全に否定されているんだそうで。この本によれば、心柱が揺れるように上部から吊り下げられる構造になったのは江戸時代からなので、それ以前の耐震性はこの構造では説明がつかないとのこと。
 しかし、五重塔が強い耐震性を持っているのは事実であるらしい。それは塔がたくさんの部品を組み合わせて造られているので、それらが互いにこすれあうことで地震の振動を吸収しているのだそうだ。

 それじゃ、やっぱり昔の木造技術は立派に耐震技術があったんじゃないかとお思いになるだろう。ところがそうでもないのだ。たまたまそうなっただけじゃないの? というのが著者の結論である。そもそも地震より頻度の高い台風に対して、五重塔は幾度も倒壊している。台風にも耐えられない建築が、意識的に地震に強く造られたものであるとは考えられないと著者はいうのだ。私もそうかもしれないと思う。奈良時代の大工が、地震に備えて建築技術を考えたとはどうしても想像しにくい。

 最後に、もうひとつ興醒めな話を(笑)。井上靖の『天平の甍』や、和辻哲郎の『古寺巡礼』に出てくる有名な唐招提寺金堂。ご覧になったことのある方も多いだろう。私は見たことありませんが。和辻哲郎はこの金堂を見て、天平時代のすぐれた芸術家の直感によるもので、その美しさに打たれざるを得なかった、と絶賛している。
 ところが、この建物は江戸時代に修理されてそうなったのであり、以前のものとはぜんぜん違うらしい。和辻先生、よく調べもしないで書いちゃったんですね。東大寺などもあとからいろいろ修理して、建築当時とはずいぶん姿を変えているそうだ。大仏のある東大寺大仏殿なんか、屋根が鉄骨で支えられているそうなので、純粋に木造建築かどうかもあやしくなる。著者は言う。
──観光案内などでしばしば、これらの建物が創建当初から完璧であり、そのままの姿で現在まで健全に生き延びてきたかのようなほめ方がなされますが、事実はそんなきれいごとではない。最初は不完全な、いわば欠陥建築で、しかもかならずしも長持ちするような建物ではなかったのです。

 日本の優れた伝統的な木造技術が、実は一種の神話にすぎなかったという話は、私には大変新鮮だった。もちろん優れた面もあっただろうが、一部には神話もまじっていたということだ。とはいえ、著者は最後にこう書く。

──だからといって、わたしはこの不完全さをとがめようとは思いません。その時代の建物が後世から見れば不完全であったにすぎないのです。それよりも大事なことは、そのような不完全な建物が現在まで生き延びて、わたしたちもそれを見ることができるのは、建ってからのち、長年にわたってなされてきた修理や補強のたまものであるということです。
──法隆寺を建てた大工は、1300年もつものをつくったのではなく、1300年もたせるに値するものをつくったのです。

 いい言葉ですねえ。