コーカサスから帰国

 コーカサスからトルコのトラブゾンイスタンブールを経由して日本に帰国した。20年前に私はイランからトルコへ入り、トラブゾンに立ち寄った。そのときも確か10月頃で雨が降っており、安宿には暖房もなく、凍えるように寒かった。そしてどんよりと曇った薄暗い街という印象が記憶の中に残っていた。
 今度もまたトラブゾンは雨だった。だが、20年後のトラブゾンは以前とはまるで別の街だった。以前の安宿街は今でも残っているが、どのホテルも改装されて立派になっている。もちろん料金も値上がっているが、Wで50リラ(約3000円)だから、べらぼうに高いというわけではない。熱いお湯がふんだんに出るのがありがたい。
 それ以上に変わったのが街並みだ。モダンでお洒落な店がたくさんできて、いかにトルコが経済成長しているかが一目でわかる。コーカサスと違って、ここでは若い男までもがお洒落だ(コーカサスの男性は全般的にお洒落と程遠い)。

 私はトラブゾンでロシア・バザールを楽しみにしていた。以前ここに来たとき、露天バザールが開かれていて、そこにロシアなどからやってきた人々が、ロシア製の雑貨品やタバコなどを売っていて、ロシア・バザールと呼ばれていたのだ。
 ところが、そのロシア・バザールはあるにはあったが、場所が移転していたうえに、建物内の常設バザールになっていて、売っているものもトルコの普通の日常品ばかりのように見えた。ロシアの香りがほとんどしない。20年も経てば、トルコもロシアも事情はかなり変わる。それも致し方のないことだ。
 地方のトラブゾンがあれほど変わったことを思えば、イスタンブールがさらに変わってしまったことなど当然なので、イスタンブールに到着したときもそれほど驚きはしなかった(というか、私はイスタンブールだけは5年前に来たことがあった)。驚きはしなかったが、安宿街のスルタンアフメットまで来たのに、どこにいるのかわからなかった。あまりにも変わりすぎだ。アヤソフィアは改修されて新築のようにぴかぴかになっている。写真を撮るのも忘れてしまった。
 スルタンアフメットに行ったのは宿に泊まるためではなく、絨毯屋の「ユーリック」を訪ねるためだった。20年前にこの店に毎日あそびに行ってはチャイをご馳走になった。そこには何故か絨毯など絶対に買いそうにない旅行者がいつもごろごろしていた。岡崎大五氏もそのうちの一人で、彼はあそこで一時アルバイトまでしていた。
 ユーリックもずいぶん立派になっていて、隣りにはユーリックが経営する高級ホテルがあった。以前ここに滞在していたとき湾岸戦争が勃発し、外国観光客がぱったりと途絶えたことがあった。ユーリックはホテル建設の資金繰りに困っているとこぼしていた。
 そのとき、日本人の絨毯屋がやってきて、ユーリックにある絨毯を次から次に買いまくった。私はその様子を見ていたが、その人は絨毯をろくに見ないで、これもあれもこれもあれもと山のように積み上げて、それらをすべて買ってしまった。ユーリックにとって、このときこれほどありがたい客はなかっただろうと思う。買いもしないで店でうろうろしていた旅行者とえらい違いだ。
 なんとか危機を乗り切ったユーリックは、ホテルを完成させた。それが何年前なのかは知らないが、私はそのホテルを今回初めて見た。いわゆるプチ・ホテルで、小さくて高級感のあるシックなホテルだ。コレクションしたという古いランプが、天井から無数にぶら下がっている。
http://www.kybelehotel.com/

 以前も、私はユーリックで絨毯とキリムを買ったのだが、今回も古いキリムを2枚購入した。そのとき20年ぶりにユーリックの方と話をしたら、意外なことがわかった。彼らは私より年が若かったのだ。チャイやスープをご馳走になったり、朝食に誘われたりしていたあの頃、当然のように彼らは私よりもずいぶん年上の人々だと思っていた。たぶんそれは精神年齢というか成熟度の違いだったのだろう。