朝井まかて『ボタニカ』

 朝井まかてがまた傑作をものにした。植物学者、牧野富太郎の伝記『ボタニカ』だ。僕は牧野富太郎については高名な植物学者であること以外何も知らなかったが、金持ちの家に生まれながら、身代を食いつぶすほど植物にのめりこんだ研究者だったようだ。尋常ではないのめりこみようで、それがこの本の読ませどころの一つだ。

 牧野は受け継いだ膨大な資産を食いつぶしだけではまだ足りず、借金に借金を重ねていくが、おかげで家賃も払えず、家族総出で何度も夜逃げを繰り返す。あまりにも夜逃げが多くて、だんだんそれにも慣れていくというくだりに大笑いした。

 

 家賃や節季払いに難渋するのは日常のことで、暮れに夜逃げ同然に家移りすることになっても富太郎は旅の空、採集道具を手に山中を歩いていたりする。(妻の)壽衛も慣れたもので、新しい住所を旅宿に電報で知らせてくるのだ。うっかり元の家に帰ってしまい、もぬけの殻に驚いて「空き巣にやられた」と派出所に駆け込んだこともあった。

 

 牧野富太郎に本当にこんなことがあったのか? と疑いたくなるような話だ。

 妻からすれば、これほどどうしようもない夫はいないと思うのだが、朝井まかての筆致は、このだらしなく甲斐性のない男に限りなく優しい。作家としての朝井は、牧野のどうしようもない業の理解者であるのかもしれない。

 牧野夫妻は晩年、大泉学園に終の住み処を構える。そこが現在の牧野記念庭園になっている。近所なので僕も何度か訪れたことがあるが、これからはこの話を思い浮かべながら訪れるのが楽しみだ。