『蓑虫放浪』を読む

 江戸末期の1836年、岐阜に生まれ、明治中期まで日本各地を放浪しながら絵を描いた仙人のような男がいた。土岐源吾という名前だが、人々には「蓑虫山人」と呼ばれた。その蓑虫山人の足跡を日本各地にたどって、彼の姿を浮き彫りにしたのが本書だ。

 なぜ蓑虫なのかというと、この人、全国を放浪するのに、蓑虫のように自分の家を背負って歩いたからだ。もちろん家といっても「笈(おい)」という折りたたみ式の庵(いおり)だったそうだが、テントを持ち歩くバックパッカーの先駆者みたいなもんですかね。こうやって放浪しながら泊まりたいところに泊まり、気が向けば絵を描き、人の家に世話になったりしながら人生を送ったという人の一種の伝記である。

 ふつう伝記といえば偉大な業績を残した人のものだが、この蓑虫山人は、たいして有名でもなければ、絵師のくせに絵がうまいわけでもなく、ほらも吹けば傲慢な一面も見せ、人間的に全面的に信頼できるような人物ではなかったというところがおもしろい。にもかかわらず、蓑虫が訪れた各地の人々は彼の世話を焼き、食事や寝所を提供しては下手な絵を受け取っていた。そういった絵が各地に今でも残っており、著者はその地を訪ねて残された絵を本書で紹介している(かなり多くの絵がカラーで掲載されている)。

 確かに技巧的に「上手い」という絵ではない。だが、おもしろい絵だ。蓑虫の絵はいわゆる山水画や花鳥風月ではなく、基本的にスケッチのようなもので、自分が見た風景や出来事をさらさらっと描いている。中には自分の姿もひんぱんに登場してくる。だから、技術的に巧みではなくても、当時の様子や雰囲気がよく伝わってくるのだ。

 驚くべきは、縄文時代の有名な土偶、遮光器土偶を発掘し、そのスケッチを残していることだ。それを中心にした古代遺物の展覧会まで催している。いろいろな意味でかなり突き抜けた人物だったようだ。

 この変人が今後評価を浴びる日が来るのかわからないが、少なくともこういう人が200年近く前にいたのを知ることはなかなか楽しい。

 

蓑虫放浪

蓑虫放浪

  • 作者:望月昭秀
  • 発売日: 2020/10/11
  • メディア: 単行本