日本とモンテネグロの百年戦争

 ただいま次の本を書いているところだが、モンテネグロのことを調べていたら、Wikiにおもしろい話が出てきた。なんと、日本は2006年まで101年にわたって、モンテネグロと戦争状態にあったというのである。信じられない話だ。日本人のほとんど誰もそんなことは知らなかっただろう。僕もさっきまでそうだった。

 いったいそれはどういうことなのか。Wikiの「モンテネグロ」か「日露戦争」の項をお読みいただければわかることだが、要点だけを私がここで説明しよう。
 話は1878年露土戦争までさかのぼる。ロシアがオスマン帝国に勝利し、モンテネグロオスマン帝国から独立を果たす。そして、モンテネグロはロシアとの協調を対外関係の機軸として国を経営していくことになった。

 そこで勃発したのが1904年の日露戦争である。モンテネグロはロシア側に立ち、1905年に日本に宣戦布告したのだ。わざわざ遠い満洲まで義勇兵を送り込んだのである。ロシアに世話になっているので、宣戦布告せざるを得なかったのでしょうか。
 ところが、実際には戦闘に参加しなかったらしい。日露戦争終結すると、戦闘には参加しなかったんだからと、モンテネグロの宣戦布告はなんと無視され、戦後の講和会議にも招待されなかった。モンテネグロの立場が形無し。そのため国際法上は、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという奇妙な状態になったという。

 それから101年の時が流れて2006年、モンテネグロ連合国家セルビア・モンテネグロから分離独立する。日本政府はこの独立を認める方針だったが、鈴木宗男さんが次のような質問をした。
「1904年にモンテネグロ王国が日本に対して宣戦を布告したという事実はあるか。ポーツマス講和会議にモンテネグロ王国の代表は招かれたか。日本とモンテネグロ王国の戦争状態はどのような手続きをとって終了したか」
 さすが鈴木宗男さん。ロシア関係についてはじつに博識である。

 これに対し日本政府は、「政府としては、1904年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。モンテネグロ国の全権委員は、御指摘のポーツマスにおいて行われた講和会議に参加していない。」との答弁書を出した。
 とはいえ、やはり気になったのか、2006年6月、日本政府はモンテネグロ外務大臣と首相の特使を派遣し、モンテネグロの独立承認と戦争の終了を宣言する文書を届けたという。これによって、101年にわたる両国の戦争状態が無事に終わったのだった。
 こういう文書をもらったモンテネグロ政府はどういう反応だったんだろう。きっと大笑いしたんだろうなあ。