世界は1個の電子である

 毎晩寝床に入ってから本を読む。仕事とは無関係の本だ。若い頃は本がおもしろいと、つい夜が明けるまで読みふけることもあったが、今はマンガでもせいぜい2時間が限度だ。普通は1時間も読まないうちに寝てしまう。

 どの本を読んでもよく眠れるのだが、やはり難解な本のほうがすぐに眠くなる。もう少し若い頃はそれであっという間に眠れたのだが、ここ数年、理科系の話を書いた文化系の難解本(数学や物理学のことを文化系の本として書いたもの)を読んでも、あっという間に眠るということがなくなった。昔は、意味不明の文章に出くわすと、ぱったりと死んだように眠れたのだが、今は、わかりもしないのに、なんとなく読んでいるのが不思議だ。私の脳が老化して反応が鈍くなったせいかもしれない。

 前の当欄でも取り上げた本だが、この『サイエンス・インポッシブル』(ミチオ・カク著、斉藤隆央訳/NHK出版)も難解な本だった。SFで描かれるタイムマシンやテレパシーは本当に実現可能なのかを科学的な見地から解説したもので、それだけ書くとわかりやすそうな感じだが、これがなかなか手強い本で、可能かどうかを検証するのに最新の量子物理学などが登場するので、基礎知識のまったくない私には半分も理解できない。しかし、量子力学などを説明するもののなかでは、かなりわかりやすく書いてあるほうであるらしく、これがなぜかおもしろいのだ。

サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か

サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か

 前回、一度読み通しているのだが、半分も理解できないので、もう一度読んだ。理解不能だと覚えていることも少ないので、初めて読むのとほとんど同じだ。そのなかで今回あらためて発見した記述があって、それを書きたかったのだ。

 古典電磁気学の基礎的な方程式にマクスウェルの方程式というものがある。電磁場のふるまいを記述する方程式だ。この方程式を解くと2つの解が得られる(らしい。以下、すべて「らしい」なので、省略)。一つは「遅延」波で、通常の光の動き。問題は二つ目の「先進」波で、この解だと光は時間をさかのぼってしまうのだ。

 でまあ、そんなことはありえないから、100年間この2つめの解を科学者たちは無視してきた。1つめの「遅延」波の解だけで、とりあえず科学を進歩させられたからだ。テレビの電波とか、レーダーとかですね。しかし、この2つめの解が間違いというわけではないので、まったく無視することもできない。いったいどういう意味なんだ? リチャード・ファインマンという物理学者がこれに挑戦する。

 ファインマンノーベル賞を受賞した高名な物理学者だが、「時間をさかのぼる電子は、時間を前進する反電子と同じ」であることに気がついた。彼が大学院生のときです。通常の電子はマイナスの電荷を持つが、反電子はプラスの電荷を持っており、陽電子とも呼ばれ、実際に存在する。

 電子と反電子が衝突すると、対消滅してガンマ線が発生し、膨大なエネルギーを放出する。このときに反電子の電荷の符号を反転させると、通常の電子が時間をさかのぼっているところになる。電子は時間の中でUターンして逆行に転じ、その過程で膨大なエネルギーを出しているというのだ。

 意味不明だが、とにかくそのプロセスを考えたファインマンは、電子と反電子が衝突しているように見えるこのプロセスは、実は1個の電子が時間をさかのぼって起こす作用だと考えた。1個の電子と1個の反電子が衝突するのではなく、1個の電子が時間を溯って反電子となって過去の自分である電子と衝突するというわけですね。これが反電子の秘密だ! とファインマンは叫んだ(かもしれない)。

 とすると、どんな粒子も時間をさかのぼれるということになる。物質と反物質は衝突すると大爆発を起こして対消滅するが、これも単に電子が時間をさかのぼったところで爆発したことになり、1個の電子が無数に時間のなかをいったりきたりして引き起こす現象ということになる。

 ここから導かれることがすごいんです。ミチオ・カクさんはこう書いている。
──このことから、物質の塊には電子一個しかない、という妙な結論も導かれる。同じ電子が時間のなかをジグザグに行き来しているというのである。時間のなかでUターンすると、電子は反電子になる。だがもう一度Uターンすると、また別の電子になるのだ。
 ファインマンは、この宇宙全体が、時間のなかを行き来するたった一個の電子からなるのかもしれないと考えた。
 この理論はへんてこに思えるとしても、「電子はどれも同じ」という量子論の不思議な事実を説明してくれる。

 すごいですねえ。この世のあらゆるものが、世界や宇宙や、あなたや私や死んだ祖先が、すべて時間を行き来する、たった1個の電子でできていたなんて! いや、もちろんこれは仮説でしょうが、とりあえずこれが物理学と矛盾しないというだけでもすごい。それどころか、「史上最も正確な理論の一つ」であるってことになっていて、それでファインマンは1965年にノーベル賞をとったのだ。SFどころの話じゃないですねえ。