インドとバングラの飛び地

 今日の朝日新聞に、インドとバングラデシュの国境線が画定することで両政府が合意したというニュースが載った。
インドとバングラデシュ、国境線画定 領土問題解決へ
http://www.asahi.com/international/update/0907/TKY201109070670.html

 この記事によれば、「バングラデシュなど周辺国で影響力を増す中国に対して巻き返しをはかる狙い」がインドにあり、「インドがバングラデシュに持つ111カ所と、バングラデシュがインドに持つ51カ所の計162カ所」が領土交換されるらしい。

 インド側ではクチビハールと呼ばれている地域だが、実はインド領内にバングラデシュの飛び地が95カ所、バングラデシュ領内にインドの飛び地が129カ所あるそうなので(世界飛び地領土研究会)、今回の領土交換ですべての飛び地が消滅したわけでもなさそうだ。

 飛び地というと、隣国に島のようにはみ出した領土というイメージがあるが、世界飛び地領土研究会の記事のよれば、ここの飛び地は「飛び地中の飛び地」で、飛び地の中に飛び地があるという。つまり、「バングラデシュ領内のインドの飛び地の中のバングラデシュの飛び地の中のインド領」というややこしい飛び地なのである。「面積わずか50平方メートルしかない世界最小の飛び地」もあり、「政府も飛び地に果たして何人住んでいるのか把握不能」だという。すごいですね。これがその地図です。大きくして見ないと何が何だかわからない。

 いったいなんでこんなめちゃくちゃな国境になってしまったのか? こんな話がここに出てました。
【週刊ちゃぱなん】
──ホントかウソかわかりませんが、何世紀も前、藩王国であったクチビハールとロンプール(現在のバングラデシュ・ロンプール県)の藩王が賭けにのめりこみ、賭ける銀が尽きたら今度は互いの領土を細切れにして賭けたのだとか。

 世界飛び地領土研究会の解説によれば、これはさすがに作り話で、
──当時インド東部へ勢力を広げていたムガール帝国が、クチビハール王国の3分の1を占領したが、その中の一部でクチビハール王に忠誠を尽くす地方領主があくまで居座り、この地域が1713年の条約でムガール帝国に譲渡された後も、自らの領地から動かなかった。すると今度はムガール帝国の元兵士らがクチビハール側の土地を勝手に占拠し始め、のちにムガール帝国に帰順した。こうして忠に厚いインド人兵士たちのおかげで両国の領土がゴチャゴチャ入り組んでしまったのが飛び地の発端だ。

 このときのムガール帝国(の一部)が、のちにパキスタンになり、現在のバングラデシュになっているわけですね。

 実際にここに住んでいる住人は、どこかへ出かけるにもいちいち隣国の領土を通過する必要がある。
──実際にこれらの飛び地に住む人は、ほとんど学校や病院には行けず、選挙にも行けない。国境を跨ぐ電線の敷設がままならないため、いまだに電気が引けない村も少なくないし、電話などの通信手段もない。電気がないから工場などは建てられず、生活手段は昔ながらの農業か牛を飼うくらいしかできない。(世界飛び地領土研究会

 この地域の人々は、実に不便な生活を強いられてきたのだ。それが解消されるのであればめでたい話だとは思うが、住民はどちらかの国籍を選べるという話になっているけれど、そうなるとまた別の問題が出てきそうな感じもありますねえ。

 一度、このごちゃごちゃした地域に行ってみたいと思っていたのだが、こんなに国境が入り組んでいると外国人旅行者は立ち入れないだろう。すっきりしたほうがまわりやすいかもしれない。