庶民の苗字

 ほんとに1週間たつのって、何でこんなに早いんだろう。と、先週と同じ書き出しになってしまう今日この頃だ。

 何の本だか忘れてしまったが、先日読んでいたどれかの本に、「江戸時代の庶民に名字などなく、明治時代につくられたという話は俗説である」と書いてあった。

 そんな! じゃあ学校で習ったことは間違いだったのか? 仕事で忙しかったので、そのときはそのままほったらかしだったが、一段落付いて思い出し、ちょっとネットで調べてみた。すると、ぞくぞくとその話が出てきた。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/koseki_myoji.htm
 このサイトの解説によれば、現在では日本人の苗字について、次のようなことがわかっているらしい。

 「苗字」は武士の形成と関係が深いとされ、武士階級のみならず一般庶民にも広がっていった。今では、江戸時代には下層農民も「苗字」を有していたことが明確となっているという。
 江戸時代には知行所を持っていた旗本や藩士が金を取って「苗字」を庶民に与えていた事例が多かったことから、1801年、幕府はこれを禁じる「お触書」を出していたが、これは表向きのことで、庶民が「苗字」を持つことが廃れることはなかったという。
 その証拠に、東京都中野区江古田の氏神氷川神社の造営奉納取立帳に記されたの全村85軒の戸主の全員に「苗字」が記載されていた(1846年)そうだ。こういう例は数多くあったことが指摘されている。

 もし、明治時代に発布された「平民苗字必称義務令」(1875年)によって、すべての庶民が苗字を持つようになったと仮定すると、「地域によって存在する苗字に偏りが出ることは無いはずである。その証拠に、任意に付けることの可能な名前(通称)には、地域による偏りはみられない。」(Wiki)という。
 明治期に苗字がまったく作られなかったわけではなく、苗字を作った人もいた。例えば有名な与謝野鉄幹は与謝の人だったので、細見から与謝野にしたらしい。与謝野さんは与謝からとっているので、与謝地方に偏在する可能性もないではない。

 だが、明治期に庶民の苗字がすべて作られたすると、地名に関わりのない苗字の場合は、「地域による偏りはない」はずなのに、地方ごとに偏在する苗字がなぜその地方だけに多く、他の地方にはいないのかの説明にならないというわけだ。

 江戸時代にも農民は苗字を持っていたのだが、「幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許され」(Wiki)ただけだったので、農民は苗字を公的な場所で名乗ることができなかったというわけですね。それがのちに、誤って、農民は苗字がなかったことになってしまったということらしい。

 現在では「江戸時代の庶民には名字がなかった」という説は、研究家の間でほぼ完全に否定されているそうだが、明治なんてわずか150年前であり、私が「庶民の苗字は明治時代に作られた」という説を教わったのは多分40〜45年ほど前のことだ。ということは、少なくとも明治元年から100年後にはこういう事実があやふやなことになっていたことになるのだが、記録も残っており、多分その頃にはまだ明治時代に生まれた人が存命の頃だっただろうに、それでも学校で教わるようなことが間違っていたなんて、なんだか嘘みたいな気分ですねえ。