『不妊治療、やめました。』

 ただいま、9月に発売予定の『中国鉄道大全』の制作に追われている(ブログ更新が遅延した言い訳)。私は東京の練馬でその作業をしているが、二人の執筆者は北海道と中国にいて、それをメールでやりとりしながら作業を進めている。こんなことが普通になってきましたねえ。

 さて、今回は私とは、まったく縁のない不妊治療の話である。数年前のことだが、有名なタレントさんが、アメリカで代理出産してもうけた子どもの出生届を認めてほしいと、テレビで涙ながらに訴えたことがあった。私はこのことを不思議な気分で眺めていた。出生届の受理不受理の可否についてではなく、代理出産までして子どもを欲しがる心理について、まったくぴんとこなかったのだ。

 私は子どもを持っていないが、子どもが欲しいと思ったことが一度もないので、そのことを不幸だと思ったこともない。インドなんかに行くと、いつも数人の人から、子どもはいるか、なんで子どもをつくらないんだ、子どもをつくるべきだ、日本なら不妊治療も進んでいるだろうといわれたものだ。そのたびに「うちは神まかせですから」と答えてきたが、今では年齢をいえばすむようになった。

 そのような人間にとって、子どもがいない不幸など存在しないわけだし、何故そのことが不幸なのかもわからない。その有名タレント夫婦と私たち夫婦とは生物学的に何か違いがあるわけではない。単に考え方が違うだけで、不幸になったりならなかったりするのだ。

 もちろん、私は自分の考え方が普遍的に正しいと主張しているわけではない。子どもができないから不幸だと嘆いている方は多いわけだし、それが間違っているとは思わない。不幸だと思えば不幸なのだ。うちの親だってそうだった。いつまでたっても子どもをつくらない私たちに、病院へ行けとしつこくいうので、しょうがないから一度診察してもらったことがある。そしたら別の病気が見つかって、そっちの治療に追われることになり、結局、親も孫の顔をあきらめてしまった。

 『アジアのディープな歩き方』の作者、堀田あきおさん、かよさんが『不妊治療、やめました。』(ぶんか社、952円)という本を出した。漫画作品で、自分たちの不妊治療について描いたものだ。なぜ彼らは子どもが欲しかったのだろう。そう思いながらこの本を読み進めた。子どもを欲する心理は、もしかしたら男女差があるかもしれない。だから、妻のかよさんが欲する理由は理解し得ないかもしれないが、夫のあきおさんの理由ならわかってもいいはずだが、これもまた個人差があるようだ。彼はもともと子ども好きで、自分の子どもができたときのことを想像し憧れるのだ。私とぜんぜん違う。

 そんな私がこの本を読んでどうなの? と、我ながら思ったが、一気に読んでしまった。実におもしろいのである(だからブログに書くことにしたのだ)。以前、当欄で高野秀行さんの『腰痛探検家』をとりあげたことがある。高野さんがさまざまな腰痛治療に取り組む話だが、その不妊治療版ともいえる。不妊治療のことなど何も知らなかったが、世間にはいろいろな治療法があり、これがまた実に大変なことだということがわかった。こんなことをしないでよかったと思いました。

 苦難の治療を夫婦で乗り越え、その結果、サブタイトルにあるように「ふたり暮らしを決めた日」という結論に落ち着くまでの一部始終が赤裸々に描かれている。不妊治療の話なので、セックスのことなんかも絵で描かなくてはならないわけで、これを描くのはちょっとした勇気が必要だったろう。結局のところ、子どもができるかどうかよりも、この世界に信頼し、理解し合える相手が存在することの大切さが描かれている。そのことがより感動的だ。ないものを欲するよりも、目の前にある幸福に気がつくことだと言っているのかもしれない。

 堀田さん夫婦は私の個人的な友人だが、彼らがいつもお互いをいたわりながら暮らしているのを(少しだけ)知っている。そのわけがこの本を読んでわかった気がした。

 でもねえ、子どもがいる幸せは存在するでしょうが、子どもがいないってことは、ぜんぜん不幸なんかじゃないですよ(あくまで私の場合は)。

不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~

不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~