石井光太『感染宣告』を読む

 今度の石井光太さんの新刊は、日本のHIV感染者の物語である。当然のことながら軽いテーマではないし、正直いうと、これが石井さんの本でなかったら、果たして私は手に取ったかどうかも疑わしい。

 ところが、読み始めると、これが止まらないのだ。重くつらいテーマなのに、ぐいぐいと読ませてしまう。重くつらいテーマであることは、読み始めるのを少し妨げるが、読み進めるのを妨げることはないだけでなく、私があまり興味のないテーマなのにもかかわらず、止まらないというのは意外だった。それほど石井さんの筆力が大きいのだろう。

 エイズにかかると死ぬと私は思っていた。これが今ではぜんぜんそんなことはないらしい。適切な治療を行えば、治ることはなくても、病気と付き合いながら生きることは可能だという。本書によれば、「毎年感染者が増加しているにもかかわらず2003年以降は(エイズによる死亡者が)20人未満まで減ってきている」という。医療界では糖尿病のような扱いを受けているというから、それだけでも驚きである。

 それでは、死ぬことがないから、この病気にかかった人は、例えば糖尿病患者のような生活が送れるのかといえば、もちろんそんなことはない。私のように、エイズは不治の病と思いこんでいる人は多いから、そのような偏見の中で生きていくことがどれだけ大変かは、感染者ではないと理解できないだろう、ということまでは私もすぐに理解できる。

 ところが、その一方で、不治の病にロマンを感じる人がいるというのが実に意外だった。
「国との和解が成立してエイズが死なない病気になると、それまでこの問題に熱心だった人たちは急によそよそしく遠ざかっていくようになった」
「(ボランティアに来ていた若い女性たちも)中には交際や結婚を求めてきた子だっていた。だが、裁判に区切りが付いて、エイズが死なない病気になったとたんに、僕たちと会話することがなくなり、周りからいなくなってしまった。死に際の男には言いようのないロマンがある。だが、新しい治療補が確立したとき、僕たちはただの障害者年金暮らしの病弱な男に成り下がった」

 これだけ取り上げると、こんなことにロマンチックな妄想を描くなんてと、つい非難してしまいそうになるが、ボランティアの女性たちだって、少しはロマンがないとやってられないということはあるだろうし、最後までとことん付き合いつくす女性だっているのである。その物語がまたすごいのだ。相手の男がHIV感染者と知りながら結婚し、生活をともにする。やがて、死の恐怖から男の方が精神的にだめになって、彼女に対して執拗な暴力をふるうようになってしまう。エイズが不治の病ではなくなっても、それでもその恐怖感は男をどん底に突き落とし、その男を違う人間に変えてしまうのだ。「ウイルスは、わたしたちを翻弄し、本性をむき出しにする」

 HIV感染者に同性愛者が多いということはご存じだろう。実際、HIV感染者は高い確率で同性愛者だという。本書のHIV感染者に60歳の同性愛者が登場してくる。その男は30年間ふつうの結婚生活を続け、一人の子どもまでもうけている。その男がある日HIV感染を宣告され、妻に同性愛者であることを知られてしまうのだ。私のような凡庸な生活を送る人間には想像さえつかないことだが、そのとき人間は何を考え、どう受けとめ、そしてどこへ向かうのか。人間性がむき出しになり、試されていく。その物語は壮絶であり、しかし、実は私たちのすぐ隣りにあるということを突きつけてくる。

 いつもは少し暗いイメージのある石井さんの本の装幀が、今回は打って変わって、まるで恋愛小説のようなパステルカラーのデザインだった。それが意外で、本を読む前に石井さんに、装幀のイメージが変わりましたねとメールした。石井さんは、今回はどうしてもこういう感じにしたいと無理を言ってやってもらったという。読み終わって、石井さんの意図がはっきりとわかった気がした。最後のページをめくり終えて、もう一度カバーの写真を眺めたときに、薄く青い空をビルの屋上からぼんやりと眺めている女性のうしろ姿に、彼女の苦悩と解放感が表れていることが強く感じられた。

 私がそうだったように、これまでまったくエイズに興味もなく、また人ごとだと感じていらっしゃる方も多いことだろう。エイズに対して関心を持つべきだと私が言う資格はない。ただ、そうであってもなくても、本書は一度読み始めたら止まらない「面白本」であることはまちがいない。