ルーシー・リー展

 イギリス人陶芸家ルーシー・リーの回顧展を見に、国立新美術館に行った。
 http://www.lucie-rie.jp/

 ルーシー・リーは1902年にウィーンで生まれ、のちにイギリスに移住し、1995年に93歳で死去した。彼女の作品が世間の注目を浴びたのは50歳を過ぎてからといわれ、70歳を過ぎて新しいスタイルを確立し、88歳で脳梗塞に倒れるまで旺盛に創作活動を続けた。

 若い頃のルーシー・リーは、ウィーン分離派の影響を受けて陶芸活動を始め、当時のモダンデザインを取り入れたといわれている。若きルーシーはハリウッド女優のような美女だったが、最近になって波動方程式で有名な物理学者シュレディンガーから何通ものラブレターをもらっていたことが明らかになっている。ルーシーは最新の物理学にも大きな関心を抱いていて、このような関心と知識もデザインに取り入れられたのだという評論家もいる(しかしルーシーは、そういった理論的なことを毛嫌いし、私は単に美しいものを作りたいだけだといっている)。

 ユダヤ人家庭に生まれたルーシーは、ナチスに迫害され、36歳でイギリスに移住する。生活は困窮を極め、生活のためにボタン作りまでして糊口をしのぐ。50歳になってようやく作品が認められるようになり、イギリス陶芸界の巨匠バーナード・リーチとの知遇を得る。リーチは日本など東洋の陶芸に深く影響された陶芸家として有名だが、リーチはルーシーの作品を線が細すぎてダメだとさんざんこきおろしたそうだ。それでもルーシーは自分のスタイルを変えることはなかったという。そういうことからルーシー・リーは「反東洋的」な作風といわれたらしいが、彼女の作品には中国の宋時代の焼き物の影響もしっかり見られるので、リーチのいう肉厚でゆがんだ民芸風の作風を拒否したのだろうといわれている。

 さて、長々と私のような素人がルーシー・リーのことをここまで書いてきたのは、ルーシー・リーが東洋趣味のバーナード・リーチと知り合い、その影響をもしかしたら受けたかもしれず、受けなかったかもしれないということをいいたかったためだ。バーナード・リーチは益子の浜田庄司などと深い親交があり、柳宗悦が提唱した民芸運動に関わっている。ルーシー・リー民芸運動の影響を受けたかどうかはわからないが、現在の益子にはルーシー・リーの影響を受けた陶芸家がけっこう多いのだ。若い作家たちには絶大な人気があり、個人的な推測だが、民芸運動の巨匠たちよりも、その影響力ははるかに強いのではないかと思う。バーナード・リーチ風の作品を作っている作家は見たことないけど、ルーシー風だったら何人もいる。たとえばこれ。左がルーシー・リー。右が益子で買ったもの。

 誤解しないでいただきたいが、私はこのルーシー風の作品を非難するためにここに掲げたわけではない。いかにルーシー・リーが現代の作家に強い影響をおよぼしたかの例を挙げているだけで、これほどフォルムもデザインも似ていると、一種のオマージュに近いというか、この作家のルーシーへの心酔ぶりが素直に感じられてほほえましい。だからわざわざ買い求めたのだ。ルーシー・リーは高くて買えないが、これなら買って使うことができるし。

 今度の回顧展で、ルーシー・リーの作品を時間軸に沿ってまとめて見ることができたが、およそ70年にわたる彼女の創作活動で、そのスタイルがさまざまに変遷したことがわかる。陶芸はたぶん天才的なセンスやひらめきだけではダメで、土や焼成方法や釉薬について、長い経験と執拗な研究が必要なのだろう。それらが結実していく後期の作品は、フォルムも華麗で、釉薬の色も独特の色と光を放っている。興味がある方は是非どうぞ。東京の回顧展は6月21日まで。以降、益子陶芸美術館、MOA美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、パラミタミュージアム、荻美術館と巡回するそうです。