電子書籍ってどうなる?

 あまりの売れ行きにアメリカでの供給が追いつかなくなって、アメリカ以外での販売が1カ月遅れたiPad。アマゾンではキンドルという電子書籍リーダーがすでに販売されているが、こういう機械が日本の出版界に衝撃を与えているらしい。

 他人事のように書いているが、私には衝撃なのかどうかも実はよくわからないのだ。だいたいキンドルにしたって日本語で読めるソフトがほとんどないというし、うちで出している本が電子書籍になっているわけでもないので、今のところは何の関係もない。

 電子書籍に詳しい東京電機大出版局の植村八潮という人が、毎日新聞のインタビューで、次のようなことを言っている。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100503ddm012040031000c.html

──日米では、読書習慣や出版文化が明確に違う。しかもそれは急には変わらない。米国人にとって「読書は消費」だといわれており、バカンスに本を4〜5冊持って行き読み終わったら捨てて帰る人が多いという。日本人は紙質や装丁にこだわり、読み終えても取っておく人が多い。米国で成功したから日本でもというのは、分析が足りないと思う。
──iPadはそんな新しいメディアとしての可能性が高い。ただ、熱狂的なアップルファンは買うだろうけれど、広く日本人に支持されるかは分からない。

 日米で読書習慣がどれほど違うのか私にはわからないが、「日本人は紙質や装丁にこだわり、読み終えても取っておく人が多い。」というのはどうだろう。欧米人がバカンスに持っていくのはペーパーバックだが、日本人だって文庫本ぐらいだろう。ミステリーの文庫を捨てていってるのを見かけたことは何度かあるし、そもそも本すら持っていかなくなりつつある。今や、読書習慣の違いというより、読書習慣があるのかないのかという問題の方が大きい。

 iPadは「熱狂的なアップルファンは買うだろう」が「広く日本人に支持されるかは分からない」というが、まず日本語のソフトがないとハードは使いようがないわけで、ソフトが揃えば売れる可能性は高い。もうすぐ(5月28日)iPadが発売になるので、「広く日本人に支持されるか」の答えはじきに判明する。

 それはともかく、電子書籍というデジタルなデータには紙の出版物にはない大きな利点がある。物理的に考えれば絶版がないということだ。紙に印刷する書籍は、物理的な保管場所が必要になる。保管していれば経費がかかるし、税理上も不利なので、売れない本は断裁され、この世から消滅してしまう。だが、電子書籍は保管する場所など不要だし、いつでも、原理的には未来永劫、必要な人が必要なときに買い求めることができる。著者と読者にとって、これほどありがたいことがあるだろうか。電子書籍が普及すれば、出版社だって在庫を持つ必要がないから、経営も楽になるはずだ。

 そうなると、著者が出版社を介さないで、ネット書店から読者に販売できるのではないかともいわれている。そうなると、いわば自費出版のようなものだ。この最大の問題は編集・校閲を経ていないということである。読者には見えにくい部分だが、出版社から出版されるものは、ほとんど例外なく編集と校閲を経ている。そこで間違いが修正され、読みにくい部分が書き直される。

 そんなものは必要ないと思う人も多いだろう。ネットの記事だってそんなことはしていないのに、十分読めるではないかと。読めるか読めないかでいえばその通りなのだが、出版は執筆者と編集による共同作業による部分も多いので、一冊の本を書き上げる場合は、執筆者一人では困難なことが多いだろう。だが、それも時代とともに変わっていく可能性はもちろんある(そういう役割を出版社しかできないわけじゃない)。

 電子書籍化の流れはとめることはできないだろう。小説やエッセイは紙の本の方がいいと私も個人的には思っている。だが、辞書などの検索が必要なものは、明らかに電子書籍の方が向いている。データの更新もずっと簡単だ。マニュアル本や新聞も電子書籍の方が向いているのではないか。いいたくはないが、旅行のガイドブックだってGPSと組み合わせた電子データの方が使いやすいだろう。こっちの方が軽いし、本の置き場所に困らないのも大いに助かる。

 そうこうしているうちに、人々はすっかり電子書籍になじんでいき、ハードはどんどん進化して、これまで目が疲れるといわれている透過性のモニターが、反射式に変わって紙と変わらなくなる時がそこまでやってきている。紙の手触りにこだわる人もいるだろうが、紙の本の前には羊皮紙にこだわった人だっていたのだ。私は、そのようなこだわりは、あっという間に吹っ飛んでしまうのではないかと思っている。