うちのコンピューター事情

 新年から早くも遅滞して申し訳ありません。最近何をやっていたかというと、ついに我が社のコンピューター機器が一新され、新しいマックになったので、その設置・設定作業に追われていた。

 これが実に大変。コンピューターの知識や経験が豊富な方には、特に難しいことはないでしょうが、私はコンピューターのことはほとんどわからない。もちろん長年コンピューターを使って出版活動を行ってきたんだけど、だからといってコンピューターのことに詳しいわけではなく、必要なソフトの必要な機能だけを使い慣れているに過ぎない。

 これまで使っていたコンピューターはパワーマックというやつだが、これに40ギガの外付けハードディスクやスキャナー、プリンターなどを付けてやってきたわけだ。今まではこれで十分だった。

 思えば、本誌創刊当時(1988年)は、1メガのフロッピー・ディスクさえなく、使っていたのはドクター中松さんが発明したというぺらぺらの5インチディスクだった。コンピューターはNECのPC9801。OSはウインドウズなんてものはもちろんなく、MS-DOSというやつ。なつかしいですね。レイアウトソフトもまだ存在せず、「松」という名のワープロ、というよりエディターソフトがあったのみ。のちに「一太郎」の前の「太郎」というのが発売された。

 最初は外付けハードディスクもなかったが、ようやく手に届く価格になったので買ったのが、容量40メガ(ギガではない)だ。これでものすごく作業が楽になったのを今でも覚えている。この程度の機器で本誌を6年ぐらい作り続けた。

 もちろんコンピューターでレイアウトを組むことなどできないので、打ち出した活字を切り貼りして版下をつくっていた。これで初期の「遊星通信」(旅行人の前身)はもちろん、「旅行人ノート」の前の『アフリカ旅行情報ノート』も制作して書店で売ったのだから、今考えると恐ろしいことをしたもんだと思う。

 コンピューターでレイアウトを組むことができるようになったのは、1994年になって、ジャスト・システムから組み版ソフト「大地」をお貸ししてもらえたからであった。このソフトは今ではもう存在しないと思うが、貧弱なコンピューターで、驚くほど精密なレイアウトが可能になるすばらしいソフトだった。これで2年ほど本誌や単行本を制作した。それからようやくマッキントッシュが導入されることになる。

 というわけで、われわれは20年もコンピューターを使ってDTPを行い、幾多の本や雑誌を制作してきたのである。もし、コンピューターがなかったら、自分で本を制作・発行しようなどとは思わなかっただろうし、金銭的にも難しかっただろう(コンピューター以前は1冊の本の写植代だけで20〜30万円かかったのだ)。にもかかわらず、今もってコンピューターのことに疎いのはちょっと問題なのではないかと思うのだが、これだけ長く使ってるのに、まだよくわからないほど難しい機械って何なんだ、と言いたい気もする。

 今や、最新のiMacは内蔵ハードディスクだけで320ギガ。外付けハードディスクでも320ギガは1万円ちょっとという時代だ。画像もパワーマックとは比較にならないぐらい美しくなって実に快適だが、扱うデータが異様に大きくなり、ソフトは重くなり、結局は数字がでかくなっただけではないかと思ったりもする。

 次はもう少し早めに更新するように努力いたします。