『神の棄てた裸体』を読む


 『物乞う仏陀』(文藝春秋/1500円)の石井光太さんが新刊『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』(新潮社/1500円)を出した。さっそく拝読。前回同様にウルトラヘビーなテーマでありながらも、読み始めるととまらないノンストップ・ノンフィクションであった。

 今回のテーマは、サブタイトルにあるようにイスラム世界の性生活。文字通りベールの向こうに隠されたイスラム世界のセクシュアルな世界の実態をレポートしたものだ。イスラム世界で女たちは、本当に家の奥に押し込められ、顔も知らない相手と結婚し、奴隷のような扱いを受けているのか。そういうイメージはどこまで正しいのか。それが本書のテーマであると巻頭で述べられている。

 本書に登場してくるのは売春婦やおかまにとどまらず、一夫多妻制の家族や、妻や娘を失った家族である。つまり性をキーワードにした家族と社会の物語なのだ。たとえば、しばしば非難の目で見られる一夫多妻制は、彼が出会ったクルド人の家族ではどういう形態だったのか、公園で体を売る少年や少女たちが本当に求めていたのは何だったのか。あるいはカルカッタの売春宿で暮らす女は、何故そこから出ようとしないのか。家族と社会の関わりがそこに重くのしかかってくる。

 そのどれもが人間のせつなさや痛みがえぐり出された重い物語で、読んでいてため息が出る話ばかりだが、それでも読むのをやめようという気にならない。単純にいうと、おもしろいのだ。最底辺の悲惨な人々の生活がおもしろいというのは語弊があるが、石井光太がこのような人々のただ中に突入していき、右往左往しながら耳を傾けた彼らの話はリアルであり、おもしろい。

 われわれは日頃、テレビのニュースで世界の悲惨さを知る。アジアやアフリカの貧しい人々、戦争の犠牲者、ストリートチルドレン問題。それらはもちろんウソではないが、なんというか、遠くから引いたカメラで撮影され、大局的な状況から発生した一つの問題として報道される。個人の問題ではない。その意味で、この本に登場するさまざまな人々は、徹底的に個人であり、石井光太という個人が個人的に関わった人々の物語なのだ。だからめちゃくちゃにリアルでありうるのであり、それがおもしろいのだ。 

 それにしても、この本を読み終えると、しばらくぼーっとしてしまいますよ、ホント。ま、読んでみてください。

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く

 ところで、この本に登場する人々の単行本未収録写真が石井さんのサイトで公開されている。読み終えたあとに見てみたくなるかもしれないので、その際のアドレスはここです。
http://www.kotaism.com/

 それから、次号(12月1日発売)では石井光太さんのエッセイが掲載される予定です。この話もなかなかおもしろいので、お楽しみに(といっても、もちろん軽い話じゃないんですけど)。