うちの本が書店にない理由

 今朝(8月17日)の朝日新聞に、「手に入らない 町の本屋、新刊枯渇」という見出しの記事が掲載された。「本をつくっても売れない、読者の手に入らない」という「負の連鎖」を打開するために、返本率を下げ、必要とされる本を必要なだけ書店に届けようと、取次会社が9月から配本システムを改善するという内容だ。

 うちでも読者から、どこにいっても本が見つからないという苦情が寄せられている。どうもすいません。しかし、こういうことはうちだけではなく、多くの中小・零細出版社でも同じだ(大手でもそうかもしれない)ということがこの記事を読むとわかる。

 この記事を読まなくても、全国の書店数と、最近の平均的な初版部数を比較すれば、発行された本が全国津々浦々まで届くことがないことはご理解いただけると思う。現在どんどん減りつつある書店は全国で約1万7000あるが、最近は初版部数が1万部を上回ることは滅多にない。例えば初版部数を6000部だとすると、1冊ずつ配本しても、3軒に1軒しか本が行かないことになる。

 いや、3軒まわったが1軒もなかったという方もいらっしゃるだろう。この記事には次のように書いてある。
──市場が低迷し、大手でも初版1万部を超えることは少なく、1万7000店の書店にそもそも行き渡ることはない。販売力のある書店に手厚い配本を徹底しているのは幻冬舎。(中略)販売上位150法人、約5000店舗に新刊書の75〜80%を集中する。(中略)別の中堅出版社社長は「初版3000〜4000部の新刊を返本されたらたまらない。実績がある大型店を優先するのは当然」と言い切る。

 というわけで、小さな書店にまわしても返本されるだけなので、たくさん売ってくれる大型書店にどんとまわすのは当然といっているわけだ。したがって小さな書店にはますますまわらなくなる。

 いや、おまえのところの本は大型書店にもなかったとおっしゃるかもしれない。しかし、その大型書店といっても、5000店舗もあるのだ。仮に初版部数が6000部だったとしても、1店舗で平均5〜10冊配本すると600〜1200店舗にしか配本されないのである(※)。しかも、こっちが注文を出したって、書店が要らないといえば置くことはできないのだ。

 読者が本当に、その本が必要だから買うと思えば、実は買うことはできるのである。ただ、買いたいとは思うけど、見てからじゃないと買えないということは難しいのだ。注文があって地方まで配った本を、やっぱり要らないとお客様がおっしゃるので返本したいといわれたら、その流通費用は出版社が持たなければならない(本当は客注配本を返本することはできないのだが、書店にお願いしますといわれたらなかなか断れるものではない)。初版が数千部の本ではすでにその余裕はなくなっているというのが実状なのである。

 この記事にある取次会社の流通改善は、「売れる書店に必要なだけの本を送れるようにするのがねらい」とある。「店頭で客の注文があっても確実に入手できるかを返答できずにいた」からだという。ここでも、買うかどうかの客は相手にしていない。買いたいから注文しているのに買えるかどうかわからないのを改善するといっているのだ。つまり、これ以上返本が増えると、もう出版業界は成立しないということなのである。

 もちろん、私は、欲しいのなら見ないで買うのが当然だとは思っていない。私だって本屋に入ったらまずぱらぱらとめくってから買うかどうか決める。特にガイドブックのような出版物は、データがちゃんと改訂されているか確かめたいと思うのは当然だ。しかし、上のような事情で物理的に全国の書店津々浦々にまわすのは不可能なのだ。読者からの提案があったように、その1部をPDFにするといった対策が必要なのかもしれないと思う。

 だいたい前の版から改訂されているか確かめるという人は、前の版も買ってくださったヘビー・ユーザーで、こんなありがたい読者はいないのだ。こういう読者の要望に応えられないのは、大変申し訳ないと心からお詫びいたします。

※ちょっと追記します。仮に初版部数が6000部だったとしても、1店舗で平均5〜10冊配本すると600〜1200店舗にしか配本されないと書いたが、よく考えてみたら、初版が仮に6000部だったとしても、取り次ぎが初回配本してくれるのは500〜1500部程度だったりする。配本数は出版社の希望ではなく取り次ぎの判断に委ねられている。残りは在庫になって、売れた書店や読者からの注文を倉庫で待つのだ。ということを考えると、実際には本当に限られた大型書店にしか本が出まわらないのですね。