「りぼん」の時代

 先日、図書館に行ったときに、偶然棚にあった文庫『『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代―たそがれ時にみつけたもの』(大塚英志ちくま文庫)が目にとまった。単行本が1991年に出版され、1995年に文庫化されたようだが、ぜんぜん知らなかった。

 なんでこの本が目に止まったかというと、僕が大学生の頃、この少女マンガ雑誌「りぼん」を愛読していたからである。普通の方は、男のくせに少女マンガを読んでいたのか? とお思いになるかもしれないし、マンガを読んでいた方は、「りぼん」のようなお子様向け少女マンガ雑誌なんか読んでたの? とお思いになるかもしれない。

 読んでいたのである。僕は当時マンガと名のつくものはジャンルを問わず読んでいた。しかし、例えば少女マンガでいえば「りぼん」「別冊少女コミック」は読んだが、「少女フレンド」系は読んでいない。だから何でも読んでいたわけではないが、マンガをあまり知らない人には何でも読んでいたように見えたかもしれない。

 当時のマンガマニアには「別コミ別冊少女コミック)」と「少女フレンド」には歴然とした違いがあった。「別コミ」には、「24年組」と称された萩尾望都大島弓子らが描いていた。こういった作家の作品は当時のマンガマニアに大きな衝撃を与えたが、それがマンガマニアだけでなかったのは、大島弓子の影響を受けて吉本ばななが「キッチン」を書いたことからも明らかだ。僕に言わせれば、「キッチン」は大島弓子の小説化にすぎない(それが悪いといっているのではなく、それほど大島弓子はすごかったのだという意味です)。

 というわけで、30年前のマンガマニアは、こういった「別コミ」に登場する少女マンガに熱狂した。一方で、大塚英志にいわせれば「りぼん」をバカにしていたらしい。「りぼん」は、雑誌名からしてお子様向けだし、もともと小学生を読者対象にしたマンガ雑誌だったからだ。だから、萩尾望都を読む人は、「りぼん」のマンガを保守的だと批判していたと大塚英志は書いているが、私と私の周辺のマンガ好きはしっかり読んでいた。

 それでは、当時の「りぼん」にはいったいどういうマンガが掲載されていたのかというと、大塚さんのタイトルにあるような「乙女ちっくマンガ」である。作家でいえば、陸奥A子、田渕由美子太刀掛秀子といったところがその代表作家で、そのほとんどが淡い学園恋愛マンガだった(一条ゆかりという別格の作家がいたが、とりあえずここでは省略する)。

 いったいなぜそんな乙女ちっくなマンガを、大学生のむさい男が読んでいられたのか、今となっては謎である。まあ、おもしろかったからとしかいいようがないのだが、大塚さんの本を読むと、この当時の「りぼん」は、まるで横尾忠則デザインの「少年マガジン」と同じように、奇跡的な輝きを放った時代だったという。つまり、「少年マガジン」が、本来の読者層である小中学生から離れて大学生が読む時代があったように、この頃の「りぼん」も、小学生の読者を離れて、大学生の読者を掴んだ時代だったというのだ。

 いったいそれはなぜか。詳しくはこの本をお読みいただくしかないが、陸奥A子や田渕由美子が描いたキャンパスライフの淡い恋愛物語は、小学生に共感されるようなものではなく、作家と同世代の読者にこそ共感されたものだった。だから、この時代の「りぼん」は(マガジンと同じようにその時代は短いものだったが)、この雑誌の歴史の中ではかなり特異な時代だったのだ。当時の読者だった僕は、もちろんそんなことは意識したことはなかったが、さすがに書店で買うのが恥ずかしく、女友達に買ってもらっていた。

 さて、陸奥A子や田渕由美子といった漫画家が、まるで過去の作家のように思えたかもしれないが、実はそんなことはなくて、彼女たちは今でもしっかり作品を発表し続けている。陸奥A子は1956年生まれだから、私と同じ年である。この人も今年50を迎えたのだ。あの時代からずっとマンガを描き続け、今はいったいどんなマンガを描いているのか、ネットで調べてみると、「花花物語」では、恋人のいない生活を送る32歳OLの2人が主人公であり、「パーシモンの夢」ではインテリアデザイン会社で働く38歳の紘子が主人公だし、「ママの恋人」では元モデルのママが45歳だったりするのである。しっかりと年齢が紹介されているところが中年作家の意識を感じられるが、なんだかひさしぶりに読んでみたくなってきたなあ。陸奥A子さん、お元気ですか。

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