今年もがんばろう

 小川京子に続いて私も風邪をひいて寝込み、1週間をパーにした。38度5分の熱が3日間続き、ふとんが汗を吸ってぐっしょりになり、ようやく床から上がったので干そうと思ったら、外は雪だった。

 いつも書いていることだが、1年に4回しか出さない季刊誌になってからはや7号目。ということは1年9か月が経ったことになる。月刊時代に比べれば、号と号とのあいだが3か月もあるのだから、作業はずいぶん楽になるだろう、なるはずだ、なってほしいと願っていたが、今や気分だけは月刊時代と変わらなくなってしまった。なんでこう仕事が多いのだろうか。

 だいたい編集者というのは、普通は企画を組んで、執筆者にお願いする、原稿をもらう、それを読んで校正してデザイナーに渡すという作業がメインになる。私の場合、特集を考えて執筆者に原稿を頼むというのはもちろんだが、自分でも取材に行き、原稿を書き、レイアウトを組んでいる。イラストも描く。そのうえたまには広告をとったりもするし、もちろん自社広告は自分でつくる。

 雑誌ができあがればそれで終わりかというと、もろもろのチラシ、書店への注文書などをつくったり、書店の本棚に立ててもらうポップやポスターをつくったりしなければならない。制作に関わるほとんどすべてのことをやっているのだ。そのうえ当然ホームページのメンテも半分は私がやる。いばるわけじゃないが大変だ。

 それでは、私一人ががんばって旅行人をつくっているのかというと、もちろんそんなことはない。執筆者が書いてくれるから雑誌はできあがるのだが、とりあえずそれは別にして、制作以外にも、雑誌、単行本の発送、定期購読者の管理とケア、書店との対応、在庫管理、経理などなど、制作作業に匹敵するか、それ以上の量の仕事が山ほどあって、こういう作業はすべて小川京子と相田さんがやってくれている。発送作業だけは元社員が休日に駆けつけて手伝ってくれている。ありがとう。

 とはいえ、これが旅行人だけだったら、なんとかこなせないことはないのだが、単行本が加わってくると、事務所はまさに修羅場である。うちが過去2年に出版したグレゴリ青山さん、小田空さんの本の編集・制作は小川京子が担当し、私と相田さんがサポートした。

 というようなことなので、3人のうち1人でも欠けると、我が社は直ちに立ちゆかなくなる。だから取材に始まって、制作作業に突入すると、まったく時間がなくなってしまうので、絶対に病気になんかかかっていられない。病気はいつなるかわからない、ということになっているが、実は風邪程度の病気だとそうでもなくて、だいたい制作作業などが終わったときにかかっている。やはり気持ちの問題が大きいのだろう。

 しかし、今回のように1週間も時間をロスすると、あとのしわ寄せがこれまた大変だ。代わりにやってくれる人などいないので、あいだに入っていた打ち合わせ、取材などが全部繰り越される。まったくこんなのがいつまで続くんかいなとため息が出るが、それでも雑誌や本ができあがったときの喜び、あるいは読者の反応が楽しくて続けているわけだ。

 去年、知り合いが、たった1人で出版社を立ち上げた。いろいろ相談を受けたが、僕は、1人で出版社をやるのは絶対に無理だと言った。編集も制作も経理も在庫管理も、あるいは資金繰りなんかをたった1人で全部できるわけがない。でも、彼は出版社を始めた。無事に1冊出たけど、その後の話を聞かない。どうしているんだろうと思うが、やっぱり無理だよなあ。もちろんもっと人が雇えるほど儲かれば何も問題ないわけだが、なかなかそうはいかない。

 だが、恐ろしいことに、こういった1人か2人だけでやっている零細出版社ってのはけっこう多いのである。どういうふうにやっているのか僕にはわからないが、自分のやっていることを考えると、そういう出版社の人々は怪物だなと思う。皆さん、本当に仕事がお好きなんですねえ。倒れないようにがんばって下さいませ。さあ、今年もがんばろうっと。