バム復興未だならず

 12月号の「ナショナル・ジオグラフィック」をぱらぱらめくっていたら、イランのバムの話がのっていた。ご存知の読者も多いと思うが、バムにはアルゲ・バムと呼ばれる城塞都市がみごとに残っていて、旅行者にも人気の高かったところである。だが、2003年12月の地震によって、そのほとんどが崩壊した。

 「ナショ・ジオ」誌によれば、当時、救援のために各国政府や民間団体が義捐金を送ることを約束し、その額は約150億円にものぼったという。だが、あれから2年、結局送られてきたのは約20億円だったそうだ。それで、人々は今でも仮設住宅に住み、観光の目玉であるアルゲバムは修復される予定のままであるらしい。最近、アルゲバムの様子がテレビで放映され、それを見た人が、「もうほとんど崩れ落ちて、そのままですね」といっていた。

 ところで、「ナショ・ジオ」誌には、アルゲバムは「2000年ほど前に建造された」とあるが、最初にアルゲバムが建設されたのはササーン朝ペルシャのころといわれているので、その意味では確かに2000年ほど前といえなくもない。だが、実際に現代まで残っていたアルゲバムは、ペルシャのサファービー朝時代のものだ。17世紀に建設されたといわれているので、300〜400年ぐらいしかたっていない。

 それはともかく、あの地震で多くの犠牲者が出たのは、耐震性がない、伝統的な泥と日干し煉瓦で作られた家々だったからだという。それはそうかもしれないが、同じ記事の中ではインタビューに答えたイラン人が、鉄筋の入ったコンクリートの建物も崩壊したと述べているから、あながち日干し煉瓦のせいばかりではなさそうだ。やはり地震が激しかったのだろう。

 それで、今読むと、かなり皮肉なことが書かれていて、思わず苦笑したのがこの一文。
「イランと同じように地震が多い日本や米国カリフォルニアでは、建築物の耐震化が義務づけられているため、大きな地震が発生してもそれほど多くの死者が出ることはない」

 義務づけられていても、法律が遵守されなければなんの効力もない。日本で地震が起きたらバムのようにならないと、今では誰もいえなくなってしまったのである。

 そういえば、大泉学園の駅前で、高校生たちがパキスタン北部地震義捐金活動をやっていた。かわいい女子高校生たちが(男子も)、パキスタン人のために寒空の中に立ち、声を揃えて「おねがいしまーす!」と叫んでいたので100円玉を入れたけれど、明日は我が身であるかもしれないのだなあ。