ある漫画家の失踪記


 SF漫画では一種の伝説的な漫画家である吾妻ひでおが、今度『失踪日記』(イースト・プレス)という漫画本を出した。吾妻ひでおは、僕が大学時代に、SFマニアの間では熱狂的な支持を受けていたが、その意味ではマイナーな作家だった。いちばん有名な漫画が「ふたりと5人」だが、これだって知っている人はあまりいないだろう。僕はときどき読んでいる程度だったが、友人が吾妻ファン(およびSFの熱狂的ファン)だったので、まあ、ついでに読んでいた。

 その吾妻ひでおがひさびさに出した本が『失踪日記』なのだが、この人、本当に失踪してたらしい。そのあらましが漫画化されているというわけ。読んでみたけど、これがすごい。あの吾妻ひでおがこんなことをしていたのかとガクゼンとなる。「ちょっとタバコを買ってきます」と言い残したまま、山に引き籠もって浮浪者生活に突入するのだ。ゴミをあさり、野宿し、挙げ句の果てに警察に保護されて(捜索願いが出ていた)、奥さんに連れ戻される。かなり悲惨なその行動記録が、まるくてやわらかいギャグタッチの絵柄でほのぼのと描かれているところに、えもいわれぬ迫力がある。

 吾妻ひでおはギャグ漫画家だが、ギャグ漫画家というのはどうもその末路が悲惨だ。同じ漫画家でもストーリー漫画家の場合は、わりと平穏に長く描き続けられるのに、ギャグ漫画家は破綻する人が多い。あるいは破綻する前にやめてしまう。「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめの最後がかなり悲惨な作品だったのはよく知られているが、江口寿史も「白いワニ」が出たといって締め切りをすっ飛ばしてしまうし(すっ飛ばしたおかげで彼は自分が破綻せずにすんだ)、「がきデカ」の山上たつひこも、やりつくしたといってやめた。山上たつひこペンネームをもじって「山止たつひこ」というペンネームでギャグ漫画を描き始めた秋本治が、今でも連載を続けられているのは実に皮肉だが、ストーリー漫画家と較べるとギャグ漫画家の消耗は(過激なギャグであるほど)激しい。

 それにしても、吾妻ひでおでさえも、好きにSF漫画を描かせてはもらえなかったという。そりゃまあ確かに吾妻ひでおのSFがドラゴンボールのように売れることはないかもしれない。しかし、吾妻ひでおには、彼が描けば何でも読むという堅いファンがついていたし(いしかわじゅんなんかもその一人)、やはりSFがいちばんおもしろかった。

 好きなSFを好きなように描いていれば、こんなことにはならなかったかといえば、そうとも単純にはいかないだろうが、皮肉なことにこの『失踪日記』はただいまベストセラーをまっしぐら(4月14日午後1時現在アマゾンでベストセラーランク8位だ)。おそらく吾妻ひでおの漫画の中でずば抜けて売れた漫画であることは間違いないだろう。同じような意味で、マイナー漫画家である花輪和一も、それまでの作品はほとんど売れなかったが、拳銃の不法所持で捕まって刑務所入りした経緯を描いた『刑務所の中』(青林工藝舎)がベストセラーになったなあ。

 ところで、先日、岡田史子が逝去した。まだ55歳の若さだった。漫画雑誌「COM」で活躍し、代表作は『ガラス玉』(朝日ソノラマ)。繊細で、暗い心象風景を描く漫画家だったが、若い世代はほとんどご存じないかもしれない。訃報が朝日新聞に出るぐらいだから、有名な漫画家だったんだが、今の時代に受け入れられるような作風ではなかったかもしれない。ご冥福をお祈りする。


失踪日記
失踪日記
posted with amazlet on 08.02.17
吾妻 ひでお
イースト・プレス (2005/03)


刑務所の中
刑務所の中
posted with amazlet on 08.02.17
花輪 和一
青林工芸舎 (2000/07)


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岡田 史子 青島 広志
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