新しいアンバサダー

 前川健一さんと、よく車の話をする。何につけても知らないことのない博覧強記の前川さんは、免許を持っていないのに、やたらと車のことについて詳しい。といってもその知識は、クルマ雑誌に書いてあるようなゼロヨン何秒とか、300馬力突破、とか、そういったメカニックな性能のことではなく、クルマ社会の歴史や各国事情や、あるいはデザイン文化について。いかにも彼らしいといえば彼らしい。

 その前川さんが、古本屋で買ったクルマ雑誌をプレゼントしてくれた。その雑誌は、「日本と世界の自動車最新カタログ」(成美堂出版:2003年に出たドイツの雑誌の翻訳)というもので、日本、ヨーロッパ、アメリカはもちろんアジア諸国の車のカタログまで掲載されていた。そのなかに附箋が付いていて(前川さんが付けたのだろう)、そこをめくるとインドの車が掲載されていた。

 ご存知の方も多いだろうが、インドの代表的な車といえば「アンバサダー」である。デリーやカルカッタでタクシーに乗ると、そのほとんどがこの車だ。古臭いデザイン、鈍重そうなボディ、暗いヘッドランプと、いかにも時代遅れのインドらしい車だが、この雑誌によれば、最初はモーリス・オックスフォードとして登場し、以来45年にわたる歴史を有しているという。目立ったモデルチェンジは3回のみ。前回のモデルチェンジで、いすゞ製の1.8リッターエンジンが投入された。

 2002年には「アンバサダー・クラシック・ラグジュアリー」というニューモデルも登場したが、基本的には前の型のものがそのまま生産され続けている。ただし、新しいプレス工場や組み立て設備が設置され、旧来型のモデルも品質が格段によくなっているらしい。

 それで、先日インドに行ったとき、その「クラシック・ラグジュアリー」を探してみたが、残念ながらカルカッタでは一台も見ることができなかった。そのかわり新しい旧来型のアンバサダーは何台か見たし、実際に乗ったタクシーが新しいアンバサダーだった。乗ってみて結構感激した。性能がよくなったからではない。新しいピカピカのアンバサダーに乗ったのが初めての体験だったのだ。なにしろスピードメーターはちゃんと動くし、シートは新しいし、そのうえカーラジオまでちゃんと音を出している。こんなアンバサダーは初めてだ。

 インドには、日本のスズキ自動車との合弁企業であるマルチ社が「マルチ」という小さな車を造っている。日本でいうアルトだが、一時期どこを見てもこのマルチが町にあふれていたように見えた。インド人にマルチはどうだと聞くと、いいという人もいれば、物足りないという人もいたが、「石けん箱」と呼ばれていると笑っていた。インド人にとって、アルトのような軽い車は威厳不足なのかもしれないと思ったが、それよりなにより、いかに彼らがアンバサダーという車が好きかということのほうに驚くやらあきれるやら。いくらなんでも45年以上ほとんど外観の変わらない車が、今でも愛好され続けているという国はインドだけなのではないか。部品が手軽に手に入るということも大きいのだろうが、新しい車を出しても「アンバサダー・クラシック」なんだからねえ。