久しぶりに中国へ

 6月の初め、1週間ほど中国の福建省を旅行した。うちからも『客家円楼』(岡田健太郎著)というガイドブックを出している客家の巨大建築物「円楼」を見に行ったのだ。円楼に寝泊まりして客家ライフをエンジョイしたわけだが、その話は次号の本誌で書くことにしよう。

 よく聞くことであり、テレビでもよく見ていたので、予想は完全についていたのに、それでも驚かざるを得なかったのが、中国の発展ぶりである。特に廈門(アモイ)の大都会ぶりには目を見張った。売っているものが外国製か中国製かの違いはあるが、ほとんど香港と変わらないんじゃないの? というぐらいの大都会である。

 僕は中国というと、どうしても21年前の姿と較べずにはいられない。それほど僕は21年前の中国から強烈なインパクトをくらった。バスや列車は人を押しのけて乗るのが当たり前、列は割り込むのが当たり前、道路は散らかすのが当たり前、あっても没有(メイヨ)、何もかも没有といわれつづけていたあの中国。街ではどこからか言い争う罵声がしょっちゅう聞こえてきたものだが、この変わり方はなんだ。

 かつて混雑と混乱を極めた市内バスは、今や割り込む者も人を押し抜ける者もまったくいない。頻繁に到着するバスはさほど混み合ってもおらず、車掌もひまそうで、のんびりした顔付きである。昔は険しい顔をして無賃乗車を見張っていたものだが。道路も清掃員がきれいに掃除をし、市民はゴミ箱にゴミを捨てている。ツバや痰を道路に吐き散らす人も激減した。僕の目から見ると、日本の女の子とほとんど変わらないファッションをした女の子たちが、ブティックで買い物をし、デパチカで食糧品を仕込んでいる。商品の豊かさはいうまでもない。

 アモイ、殊海、広東などは経済特区であり、東南アジアなどに広く華僑を排出している「華南経済圏」として注目を浴びてきた。今では経済の国際化がますます進み、アメリカやヨーロッパ諸国による中国市場への参入が進んでいくにつれ、「華南経済圏」もかつての勢いは鈍ってきてるというが、それでもこういった華南の大都市である廈門の発展ぶりは想像以上だった。

 アモイから西へ70kmほどのところに章洲(チャンチョウ)という街がある。この表記は不正確で、本当は章に“さんずい”が付く。この章洲なんて街のことはそこに行くまでまったく知らなかった。特に何かで世界的に知られていない限り、日本人の僕が知るはずもないところだが、これが驚くほど大きな街である。廈門ほどではないが、バスで抜けるだけでも40分ぐらいかかるほど大きい。

 この街をバスの窓から眺めているうちに、僕はかつて楽山という街に行ったことを思いだした。大仏で有名なところだが、夕刻にその街の市場を通りかかった。灯りもほとんどなく、かなり暗い市場には、よく見るとぎっしりと人が詰めかけていた。なのに、市場には活気もなく、品数も少ない殺風景さ。楽山のような規模の街は中国には無数にあることだろう。インフラがほとんど整っていないような街に、人だけはこんなに住んでいるのか。これが中国なんだなあと、そのとき強く思ったものだ。

 その意味では章洲も、楽山と同じような街である。中国にいくつあるのかわからないような平凡な街の一つにすぎない。その街に今や片側三車線の高速道路が走り、西洋かぶれした瀟洒で悪趣味なマンションが続々と建設され、人々はフォルクスワーゲンに乗っている。章洲からアモイまで、道路脇の街並みはほとんど途切れることがなかった。中国、恐るべし。